死にたい人間は、今までの生き方によって立つ鳥跡を濁さずか、濁しまくりなのかが決まる。
犯罪者に対して批判する事は正論であるが、毎度お馴染みのループにしか見えない。
その理由は単純で、僕たちは犯罪者の行為に対しては敏感だが、経緯に関しては鈍感だからだろう。むしろ嫌悪して、知る気にもならない人がいる。
犯罪者にどのような経緯があったのか?
少なくとも社会がそれを意識していない限り、統計学的な話にしかならないが、減らないだろう。
犯罪者を生み出すのは、根本的には社会から生み出される。その人個人の精神の強弱というのは、その人間の生まれてきてからの環境に依存する。
聞くところによると、何でも裕福な家庭だったが、経営している会社が倒産して、父母共に死んで、グレて暴走族になったらしい。直近では、ヤク中になって刑務所から出たけど、知人訪ねて仕事もらう予定だったけど、断られて犯行に及んだらしい。
よくある話ではある。結局、殺された人は帰ってこないし、被害者は必ずやられ損なのだ。拷問しろ!とか、そういう人もいるが、今度は拷問する人の精神が問題になってくる。
死刑にする時ですら、誰が殺したか分からないような仕組みを取っているのに、拷問のような日常的な話になれば、拷問する人がおかしくなってしまう。
かといって、このような悲劇を生み出さないために、地域や周りが正しい道へ導けるようにするなんて考えは、洗脳でもしない限り難しいだろう。人は自分にとって嫌な人間とは極力関わらないようにするものだし、嫌悪するものだからだ。
ゆえに、こういった犯罪は常に一定間隔で忘れたころに沸きはじめる。
せいぜい、個人で出来る事といえば、自分の周り位は何とかする位だろう。
社会全体が自分の周りを何とかできればいいんだけど、残念ながらそういう訳にはいかない。考えれば考える程、空しい問題でどうすれば防げるのかすら分からない。加害者に批判する事は出来ても、防ぐことはできない。
私の母が自殺した時は、家の中は掃除されていて、冷蔵庫には弁当が置いてあった。
さらに、母が死んだ後の手続き(お金の返済や、保険、葬儀方法など)全てが整理されて書類としておいてあった。その中には遺書もあった。私が家に帰ってきたほんの数分前に首をくくったらしい。
俺が殺したのも同然だと今でも後悔している。
綺麗に死ぬことは本当に難しいものだなぁ。俺は綺麗に死ねるのだろうか。
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